夢莉ちゃんのソロコンサートに行けなかった(行かなかった)話

2019年11月17日、私は太田夢莉ちゃんのソロコンサートよりも学会を選ぶような 貧しい貧しいオタクに成り下がってしまった。健やかなオタクでありたかったのにな。

私のいる業界では学会発表もステータスの一つというクッソ古い考え方が残っていて、そのクッッッソ古い考え方にならって応募した時点では、ソロコンはおろか夢莉ちゃんの卒業発表さえされていなかったので日が重なってしまったのは仕方ない。と言えば仕方ないのだけど、私のなかでは全っっっ然仕方なくなくて。(仕方なくなくて?)

誠実で真っ直ぐで、お顔の美しさに傲ることなく謙虚であり続け、難波オタクなら誰もが迷わずNMBが誇るべきメンバーだと豪語するであろう夢莉ちゃんの、念願だったソロコンサートの目撃者になれず、ニコ生配信さえリアルタイムで観られなかった虚無感が今本当に本当にすごくて。この虚無感が一生消えなかったらどうしようか。恐ろしいな。

高2の時(私にも堀ノ内百香ちゃんと同じ年齢だった時代がありました)に初めて “なりたい職業” というものができて、受験や大学生活が辛くてもなりたい気持ちに変わりはなかったし、
社会人になって会社の退職を決めても「職種を変えたい」と思うことだけはなくて。

背中を追い続けてきた山本彩ちゃんが、25歳の生誕祭で「20代後半は、30代をより良いものにするための準備をする年にしたい」という言葉で私を奮い立たせてくれてからは、今は何よりも仕事を優先しよう!!!と決めていたし、
どんどん大きくなっていく彩ちゃんが本当に格好よくて誇らしかったので、周りで結婚・出産する友人が増えても 焦ったり迷いが出たことは今まで全く無かったし、
むしろ彩ちゃんと同じようにキャリアを優先したいと思える自分が まあ正直頼もしいとも感じていたくらいなのに、
夢莉ちゃんのソロコンサートに行けなかったことで初めて、こんな人生で何が残る...?という気持ちが自分のなかで芽生えていることに気付いてしまったのです。

夢莉ちゃんがずっと目標にしていたソロコンを蹴ってまで磨きたいキャリアって何だ?こんな考えのまま働き続けた先に一体何が得られる??私はどんなに頑張っても彩ちゃんにはなれないのに???彩ちゃんのように世界中の人にエネルギーを与えられるわけでもなく、せいぜいちょっと出世する程度で終わるのに????

今回はまだ「私が行けなかった分、他の夢莉ちゃん推しの方が当選できただろう」と自分に言い聞かせることができるけど、
じゃあこれが自分の推しメンの卒コンや卒業公演だったらどうする?今仕事を頑張れているのはアイドルのおかげ以外なにものでもないのに??それを犠牲にしてまで仕事を優先する必要が果たしてあるのか???

とかなんとか、こんなに無駄に(全然無駄じゃない)人生そのものを危惧してしまうくらいの後悔に襲われるなんて、私っていつの間にこんなに夢莉ちゃんのことが大好きになっていたのだろうね。
本当に、ただ「仕事でライブに行けなかった」とかそんな程度の話ではないのです私にとって。

ソロコンサートは、さっきタイムシフトで観終えました。

やっぱり、生で観たかった。だって画面を通した後日配信でもこんなに夢莉ちゃんの素敵な姿が伝わるライブなのにな。画面を通してでも、せめてリアルタイムで観たかった。

夢莉ちゃん推しとしてオタク人生を駆け抜けて、推しメンのソロコンサートを生の空気で感じられて、
夢莉ちゃんたった一人の歌声で歌われる 太陽が坂道を昇る頃や青いベンチや背中から抱きしめてやActing toughや永遠より続くようにや初恋至上主義を聴けた方々は、それがどんなに誇らしくありがたいことかを本当に本当に本当に忘れないでほしいです。
(夢莉ちゃん推しの方々はそんなこと言われなくても当たり前のようにのように分かっていらっしゃることも知ってます)

太田夢莉ちゃん。
どうかどうか、これからもっともっと大きな女優さんになって、たくさん舞台を観に行かせてください。それで私のこの虚しさを消し去ってほしい。